SSブログ

三人の祖母

詩人、三富朽葉、その2です。

 さて、「その2」に入る前に、「親族」の呼称について、おさらいをしておきます。(本人を基点にして、以下のようになります)
 
 5 高祖父母(こうそふぼ、ひいひいじいさん、同ばあさん)
 4 曾祖父母(ひいじいさん、同ばあさん)
 3 祖父母
 2 父母
 1 本人
-2 息子
-3 孫
-4 曾孫(ひまご)
-5 玄孫(やしゃご)
-6 来孫
-7 昆孫

 先回までのあらすじ――渡良の名門、三富家には、浄、道臣の二人の息子がいた。長男浄・八重(小説では也衛)夫妻に子宝が恵まれなかったので、次男道臣の一粒種・義臣(のちの新進の詩人、文学者・朽葉)を養子とした。ところが、朽葉は、29歳で溺死。長男浄の夫人・八重(也衛)は、跡取り問題で腐心の末、実姉の婚家・吉永家から養子を迎え一件落着したところで、隠居した。

 話変わって、実は、小生、幼い時から、渡良の三富家とは親戚であると言われて育ってきました。しかし、どのように親戚なのかは不明でした。
 今回、勝野良一著『私説 三富朽葉伝』(文芸社)を一読することによって、幼いときにインプットされた漠然とした人間像が一致し、氷解しました。

 小生から5代前の高祖父・與次平(よじへい・1821-1921)・知佐(1825-1902、沼津小牧・脇川家から輿入れ。壱岐高校4年先輩、1年後輩・脇川氏はその子孫)夫妻には5人の娘と一人の息子に恵まれました。

○長女 比傳1848-1915。
 小生の直系。柳田、横田家から養子・住衛教貞を迎える。住衛教貞は、明治3年、東京で勤務中事故死。警察関係らしい。のち一人息子、孫(小生の祖父、父)とも警察畑に進む。
※横田家は、壱岐郷土館調べの(江戸末期の)「壱岐島内平戸藩諸士高」では、トップ100石とある。末裔に比べると、先祖は、なかなか政治力があったらしい。(笑い)

○次女 ツイ 
 武生水、吉永家に嫁す。吉永家は村社国津意加美神社神職世襲の家。 
※八重(也衛)は、朽葉亡きあと、跡取りとして吉永家から迎える。
※のち小生の祖母の妹も嫁す。小生の2人の叔母は、ここに下宿。旧制壱岐高女に通う。3、5回卒。 

○三女 八重(也衛)1854-1948。 三富浄夫人。

○四女 キチ1858-1915 本宮、下条氏に嫁す。

○五女 三重1859-1951 
 柳田・物部・崎村庄三郎氏に嫁す。夫は校長。子供なし。嫁して30年、実家に戻る。
       
○長男 重安 筒城八幡宮掌・吉野氏に養子。
           
 そうです。三女、八重(也衛)が三富家の長男浄に嫁していたのです。八重(也衛)は、朽葉の名ばかりの養母だったと言えるでしょう。もっとも夫の浄と弟の道臣は仲がよかったそうです。朽葉が小学6年の時には、壱岐に返し、1年間、盈科(えいか)小に通わせています。その時は、八重(也衛)も養母としての幸福を味わったことでしょう。朽葉没後、跡取り問題で奔走したのも義弟の道臣だったようです。

 今回は、八重(也衛)のその後の生活です。これには末妹・三重がからんできます。

 末妹・三重は、柳田物部・崎村庄三郎氏柳田物部・崎村庄三郎氏に嫁します。夫は温厚な人で、校長にまでなった人でしたが、二人には、八重(也衛)と同じように、子どもが生まれませんでした。そこで近所から養子を迎えたことから、三重の立場が気まずくなり、猫1匹と布団1式を持って実家に戻り、老いた一人暮らしの実父と暮らすことになります。豆腐を作って生計を立てていたそうです。

 甥、長姉・比傳の子・勝之進――小生の祖父――は長崎で警察畑に進んでいましたから、一家が帰るのをまっていたということになるでしょう。

 1921(大正10)年には、実父・與次平が死亡し、三重はひとりぼっちになります。一人暮らしの妹を不憫に思ったのでしょうか、八重(也衛)は隠居身の気楽さから、実家に戻り、三重と一緒に暮らし始めます。

 大正末期、長姉・比傳の子・勝之進(わが祖父)一家が帰ってきます。勝之進は大村警察署長、長崎水上署長などを歴任しますが、実際は罹病しての帰郷でした。そこで甥の子どもたち(わが叔母、父、叔弟ら)は、、八重(也衛)、三重に、接したことになります。二人は、いまのバス停「祈祷所」の近くで相変わらず豆腐を作って生計をたてたようです。

 話替わって、小生は2001年春、旧制壱岐高女を卒業し東京に出ていた叔母(八重の姉ツイの婚家先、武生水の吉永家に下宿して旧制壱岐高女に通う。既に死去)の子たち(小生にとっては従兄姉にあたる)に、初めて会いましたが、叔母は子どもたちに「大事な人」「渡良のおばさん」「清潔好き」「キチンとしたけじめを大切にする人」と言い残していました。

 話を戻すと、その後、甥の子どもたち(わが叔母、父、叔弟ら)は、成長し、それぞれ家庭を持ちます。

 小生の父も警察畑に進み、中国大陸の玄関口・大連に赴任します。仕事は、鉄道警察とでもいうのでしょうか、銃を持って列車に乗り込み、匪賊(ひぞく、抗日グループ)鎮圧の先兵役を務めたいたようです。もっとも平和な日々もあったようで、全盛時の双葉山が巡業に来たときは、下っ端の連中と対戦し、勝って褒美を貰ったとか言っておりました。

 その後敗戦を迎え、小生たちは、昭和22年2月、中国・大連から引き上げてきましたが、そのときとなりの家に、八重(也衛)と三重の二人は住んでいました。

 友達の家では、おばあさんが1人しかいないのに、わが家では、3人(八重(也衛)、三重、そして実祖母)もいるので不思議だなあ、と子どもこころにも思った記憶があります。

 小生には、八重(也衛)と三重は、たいへん仲がよかったような 記憶があります。しかし、小生たちが大連から帰郷してまもなく、 老衰して小生の家に迷惑をかけてはいけないという配慮から、八 重(也衛)は三富家から差し向けられたリヤカーに乗って、渡良へ 帰っていきました。

「さようなら!」「さようなら!」と二人が何度も掛け合う声は、 若い女学生のようにさわやかでした、しかし、どこかに哀調を含 んでおり――これはただならぬ別れだということを幼い子どもながら実感しました。

 八重(也衛)はほどなく死亡したという話を聞きました(小生が 小学校にあがる前年、三重に先立つこと4年、94歳)。三重は、 その後も長寿で、わたくしたちにやさしく接してくれました。小 生はいつも隣の三重の住居に行って遊んでいました。

 三重は猫が大好きで、大人が両手を広げて輪をつくってもあまるような大きなサイズの平皿に、猫の好きな魚や食料をいつもどっさり盛っていました。近所からドロボー猫がいつも我が物顔で20匹前後集まっていました。わが家の周辺はいつも猫がいっぱい、わが家は“猫屋敷”と呼ばれるほどでした。われらもすっかり猫好きになっておりました。

 小生が小学3年時、冬の寒い日、三重は92歳で大往生しました。

 八重も三重も、当時としては、一応「恵まれた婚姻」をし、それなりの生活を保障されたと思いますが、封建社会の遺風「子どもが恵まれなかった」ことによって、人生は暗転し、翻弄され、人一倍の塗炭の苦しみを味わいました。

 晩年になってやっと、すべてをなげうって、実家に帰ることによって、安寧の日々が戻ったのではないでしょうか。同じ運命をたたかった姉妹同士しかわからない苦しみがあったでしょうし、姉妹が一緒に暮らすことで、少しずつ“癒し”ながら生きるという光明をみつけたということでしょうか。

 実家での生活は、血のつながった甥の子(小生の叔母、叔弟、父、そして玄孫にあたる小生ら)とも過ごすことが出来、つかぬまの幸せな晩年だった思います。

 そして二人の別れは、再び生きては会えないということがわかっていただけに、辛い別れだったと思います。その後、三重は、勿論子どもの小生にそのことを触れることもなく、孤独というより、いよいよ善人になって暮らし、ついにあの世に行ったように思えてなりません。(ただ、二人の顔をいま思い出そうとしても、悲しいかな空白です)

 以上、小説によって判明した事実と小生の記憶を重ねて書きました。
 
 長々と書きましたが、要約すると、小生の幼少の頃、曾祖母(ひいばあさん)2人がまだ生きていました。そのうちの一人は、三富朽葉の叔母(朽葉の実父の兄嫁)さんでした、という話でした。

 ところで、小生から5代前の高祖父・與次平(よじへい)は、5女1男に恵まれていますが、その半分の3人を神官職の家と婚姻させています。いまから考えると、不自然に思えます。なぜ自分の子どもの半分を、神官職の家と婚姻させたのでしょう。次回はその謎解きをしましょう。

※朽葉の「涙恨之碑」除幕式に、八重(也衛)は、赤げっと(毛布)を着て上京した話が残っています。碑の場所は不明。
(※『私説 三富朽葉伝』に住右衛門の息子、與次平のことが、34ページに1行のみ紹介されています)

http://www.genbu.net/data/iki/kunitu_title.htm
http://www.genbu.net/data/iki/kunituokami_title.htm
http://www.genbu.net/engi/iki.htm


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行・地域(旧テーマ)

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

残念な別れ平戸藩士 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。