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半世紀ぶりの「ご対面!」

 映画のなかで、あなたが覚えているもっとも古いシーンは、どんなシーンでしょうか?
 私の場合は、都会から転校してきた高校生らしい少年が、田圃道を制服制帽で歩いていると、後ろから自転車で来た地元育ちの高校生に取られて、持ち去られるという1シーンです。そしてこの学帽が、メラメラ燃えるたき火の中にくべられるシーン(最後はクローズアップで、フェードアウト)です。
 
 この映画を観たのは昭和20年代中期から後期ころ。場所は九州の片田舎。自宅から徒歩で10分のところにあるお寺の本堂、私は、小学校の1、2年生だったと思います。それまで、動かない幻燈というものは観たことがありましたが、動く画像の映画を観たのはこの時が初めてだったのではないかと思います。
 
 この日、トーキーのほか無声映画も1本併映された記憶があります。画面のなかでお寺のお堂のシーンがあり、気をつけてみていると、和尚さんがセリフ(ナレーション)をしゃべっておられたので、なるほど、わわわざお寺に関係にある作品を選ばれたのかなと勝手に感心した記憶があります。
  
 そのころ、まだ敗戦直後ということもあり、今様の公民館やコミュニテーセンターなどという洒落たものはなく、人が集まるとなると大概がお寺でした。戦後しばらくの間まで、地方ではお寺が文化の発信センターでした。坊さんは当然のようにその地方の文化人でした(事実、調べてみると、明治初年のわが地方の義務教育発祥源は、わがお寺で行われていた寺子屋が昇格したものでした)
 
 当時、学帽、制服、教科書、ノートなどは、大切なものでした。近くの友人の家は兄弟が多かったのですが、彼らの兄弟喧嘩の決めセリフはいつも「ノートを破ってやる!」でした。そんな大切な帽子を不意に、しかも暴力的に取り上げ、しかも燃やしてしまうなんて、小学校1、2年生であった私にとって、これ以上の理不尽な暴力はないように思われました。文学的に言うと、大人になるということは、こんな理不尽や暴力にあわなければならないのかと漠然とした不安を覚えました。
 
 後年、映画に興味を覚えるようになって、この映画が木下恵介監督『少年期』(1951年制作)であることを知りました。また、この『少年期』の原作は心理学者・波多野勤子氏で、カッパブックスの第1番目の出版物であること、主演は後に青春スターになる石浜朗であることなども知りました。ところが、木下恵介監督作品のほとんどの作品を観ている私ですが、ツタヤにもないし、京橋のフィルセンターでも放映してくれません。そうなると、観たいという想いが募るものです。
 
 その想いが、思いがけずにかなうときがやってきました。この5月3日、昨年まで栃木のJ大に勤めていた友人に会いにいきました。彼は友人の友人ですが、知り合ったのはお互い社会人2年目ぐらい、彼はそれまで東大勤務でしたが、今度栃木に新設されるJ大学に転勤を誘われ迷っている由。彼は病弱で、なんでも医者から長生きは出来ないと言われているとのことでした。私は、それならば、自然があふれ、住む環境がよく、なにごとも「初めて」の新設校がおもしろいのではないかと勧めたいきさつがありました。その彼がめでたく昨年無事定年を迎え、自宅を改築をし、悠々自適の生活を始めたというので、たずねたのです。
 
 友人と彼と私の3人は、文学、映画、落語、音楽など共通の話題があり、それ以来、年に3~4回会って、それぞれ感動した内容について話し合う機会を持っておりました。それぞれがアンテナになって、それぞれの興味ある者に勧めたり、勧められたりする楽しい場です。東京2世の彼らとお上りさんである東京1世の小生とは、文化の差が歴然とあり、もっぱら吸収するのは私の方で、私が勧めたものは少なかったのではないかと思います。
 
 さて、彼の特長は――本人は無意識と思いますが、コレクターであることです。
 書籍、VTR、DVD、テープなど、実に精力的に集めています。見逃したTVなど、彼に連絡するとちゃんと収録すみなのです。おまけに最近では注文もしないのに小生の興味を見計らって、ダンボールケースいっぱいVTRを送ってくれる親切さなのです。(部屋中に書籍、VTRが大挙占拠しているので、奥方に文句を言われているという事情も少しはあるらしい)ずぼらな私として大助かりです。受益一方の私としては、今回お礼も言わなければなりません。
 
 さてさて、歓談するうちに『少年期』のVTRがあるかという私の問いに、彼はニンマとリ。大袈裟にいえば半世紀ぶりに、念願の「ご対面!」になったのです。
 
 波多野勤子氏の夫であった完治氏(のちお茶の水女子大学長)は、戦前、自由主義教育者としてテッテルを貼られ退職を余儀なくされ、一家は諏訪に引っ越し、長男は海軍に進んでお国のためにつとめたいと一途に悩む、父親はあえて答えをださない、などというストーリーです。長男である石浜朗は、地元の高校に(諏訪湖陵高校か)通いますが、バンカラで軍国主義的性行の地元の高校生にとって、上品で軟弱であったために目の上のタンコブ、いじめてやれという気持ちが強かったのだと思います。
 
 やがて終戦を迎え、張りつめた気分が解放されて、明るい家庭が戻ってくるというところでエンドマーク。木下恵介監督作品としては、残念ながらB級の部類に入ると思いますが、当時の諏訪湖周辺の建物、人々の生活ぶり、風景は、映像ならでは価値がありました。
 
 ところで、まちがいなく田圃道を歩いていた石浜朗の学帽を自転車に乗った高校生が持ち去るシーンは確認しましたが、たき火に燃やすシーンはありませんでした。早送りでもう1度チェックしてもありませんでしたので、(これは記憶違いだったらしく)別の映画だったかもしれません。
 
 級友が学帽を持ち去るシーンは、いまではとりたてていうほど印象的なシーンではありませんが、先にいう学用品を大切にする時代、大人になることへの不安などが微妙に反応して記憶に残ったのだという気がします。こうして半世紀ぶりの「ご対面!」は、思わぬ機会にかなえられました。
 
 それにしても、石浜朗は、戦後の貧しい時期に、目がキラキラ、姿がピカピカの異様な美少年、オーラ大放射でした。いまどきの韓国スターも遠く及ばない容食でした。


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