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猫またぎ

 本日、2006年5月25日(木)の讀賣新聞夕刊によると、「鰯高騰 弱った」「1匹1200円」「料理店『もう無理』閉店も」と見出しにあります。
 かつて、誰もが口にした鰯が、1900年からの水揚げの激減により、いまや1匹1200円の“高級魚”になったそうです。

 私のいなかの九州のはずれでは、鰯は、戦前から昭和30年代までは、「猫またぎ」と言われていました。鰯は人間が食べるものではない、道に鰯が落ちていても、魚好きの猫でさえ、またいで通るしろものだ、という訳です。

 鰯は、ウオヘンに「弱い」と書きます。すなわち、弱りやすい、腐りやすいのです。弱るとすぐに眼が白濁します。したがって、私の少年時代は、よく「鰯の腐った眼ん玉のような眼をするな」と怒られたものです。

 当時は、鰯が大量は穫れました。たいがいの農家では畑の周囲に大きな瓶を掘って埋めてありました。そこへ大量に鰯を入れて腐敗させます。その臭いこと。クサヤの比ではありません。
 その側に同じような瓶がありました。これには人間様の糞尿が入っており、これも劣らぬ腐臭を放っていました。いずれも表面は固まって、パイの表面のように固まって蓋となっておりました。よく腐らせたところで田畑に撒きます。勿論、腐臭のすごさはさらに格別です。
 いま考えてみると、いずれも父祖代々の智慧であり、有力な有機肥料だったのだと思います。

 遊びに夢中なった子供たちや酔っ払った大人がその場所・位置をつい失念して、ときどき片足を突っ込むことがあります。その結果どうなったかは、ここで表現しないことにします。

 そのほかの有機肥料として、海草がありました。春先、海辺に近い海中に新しい芽を吹きます。こへ櫓こぎ舟を繰り出します。ながい物干し竿大の先に鎌をくくりつけます。木製の大きな四角錐の底にガラスが張ってある水中眼鏡で海中を探り、新芽の出た海草をみつけ出し、竿先の鎌で刈り取ります。刈りとられた海草は浮かんできます。それを舟に取り込みます。

 夕方、舟はもう少しで沈むほどにいっぱい海草を積み込んで浜に帰ってきます。それを子どもや祖父母、一家総出で舟から降ろし、近くの原っぱに干します。舟上の海草は真っ黒で、艶ややかな色をしていますが、濡れて重いのです。そこで、1週間ほど乾燥して海草を軽くしたところで、また自分の畑へ持ち帰り、鋤いた畝に埋めて土をかぶせます。腐らして有機肥料にするのです。

 上京した直後、わがいなかでは猫も食べない「猫またぎ」を食べさせられたときの屈辱は忘れられません。銀座の「いわし屋」で金を払って食べたときは、納得がいきませんでした。結婚するに及んで、次第にその偏見も納まってきましたが、しかし1匹1200円の鰯とは! どう考えても世の中、間違っています。

 鰯だけでなく、いまやほかの魚の水揚げ量が、われらの少年時代と比較すると、格段に激減しています。戦後、われらは、驕りたかぶった生活をしすぎて、大量に穫り過ぎたのか、自然の循環を破壊すぎたのか……、その両方だと思われます。

 鰯はいまや 「猫またぎ」どころか、高価すぎて「人間またぎ」と改名すべきか……。
 
 ○銀鱗の残る青皿沖膾


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