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連載第5回

島に生きる 季語と暮らす 

新茶  

                     
 五月の黄金週間も真近かになると、私はいつも「さあ、お茶を作るぞ」と意気込む。実際には、もう五十年以上もお茶作りをしていないのに何故であろうか。

 私の子ども時代の昭和二十年代後半、壱岐の実家には母屋と隠居棟の二棟があり、その縁先にはお茶の木がおよそ五十メートルに渡って植えられていた。

 連休前にはなぜかよく雨が降ったが、その雨をついて祖母、父母、妹、私の一家五人で新芽を摘む。これを大黒様が担ぐような大きな布袋三~四袋に詰め、それと薪、笊、壺などの一式をリヤカーに乗せ近所の寺に運ぶ。新茶を作る日は、大概五月三日だった。

 寺には鉄の大釜が三十度くらいに傾けて設えてある。竈に薪を盛大にくべながら大釜に新芽を入れ、最初は揉みながら乾燥させる。釜が三十度に傾いているので、総じて両手で掻き上げるのがこつである。これを幼い妹をのぞいた四人交代でやるのだが、四巡目くらいになると茶葉は棒状に巻きつき針のように細くなる。五巡目になると、やっと白い粉を噴き、その加減で終了となる。新茶作りはたっぷり半日を要した。

 新茶は、近所の御世話になっている家や親戚などに配られた。当時、お茶を作っていたのはわが家のほかには殆どなかったので、たいへん重宝がられた。新茶を待ち望んでいた叔母などは、受け取ると急須に入れるのではなく、すぐさま自分の口に放り込んで新茶の葉をぼりぼりと食べていた。

 新茶作りには後日談がある。新茶作りが終わると、いよいよ忙しい田植えの時期を迎える。私も重要な働き手として田植えに加わるが、ここで摩訶不思議なことが起こるのだ。田水に浸した十本の指の爪が、なんと鮮やかな紫に変色するのである。

 結論を先に言うと、先に茶を揉んだときに付着したお茶の成分(タンニン?)と田の水とが化学反応を起こして紫の色を生み出すである。新茶作りはもう一か月も前のことである。それなのに、その後三か月は、風呂に入ろうが石鹸で洗おうが頑固にとれない。

 ちょうど異性に目覚めるころの男の子の爪が紫に染まり三か月以上も消えない。もちろん恥かしいがどうしようもない。いまの都会の子ならばいじめの対象になるだろうが、当時はそんな雰囲気は微塵もなかった。当時の子どもはそれぞれの家で立派な働き手であったので、今の言葉で言えば、互いにリスペクトしていたのだと思う。今年も私の十指の爪は真っ白のままだ。

  高う低う傾ぐる急須新茶汲む     園田靖彦

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