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連載第3回


島に生きる 季語と暮らす
 
猫  
                                               
 旅先で、あるいはたまたま訪れた街の広場で、私は猫に身を擦り寄られたことが何度かある。もちろん、この予期せぬ出来事自体が驚きなのであるが、実はもう一つ心の底で驚いていることがある。

 それはこの猫たちが、私が猫好きであることを察知して擦り寄ってきたと思われることだ。私は郷里、壱岐島を離れて五十年、猫好きを断って生きてきた。その間一度も猫好きを公言したことはないし、そのそぶりすら見せたことはない。

 私の小学生時代である昭和二十年代後半、農家でさえ貧しくて三食十分に食えなかった。そんな中で猫は勝手に一度に三~四匹の子供を産む。大概の家は、とてもそんなに多くは飼えないから、子猫を目隠しの意味もあって布袋に入れて遠くに捨てに行く。ところが二~三日もすると、ものの見事に帰って来る。

 そこで飼い主は近くに猫好きの家はないかと考える。その格好な家がわが家だった。祖母、母、壱岐で生まれた妹、みんな猫が好きだ。玄関には丁度猫一匹が通ることが出来る穴が空いている。わが家には五、六匹ぐらいの猫いたが、三度の飯時になると、このほかに寅さんみたいな風来坊、まるで凶状持ちの陰気な猫、わが飼い鶏をいつもねらってっている泥棒猫などなど、ざっと二十匹くらいが現れる。

 その猫連にわが家の女性たちは、分け隔てなく惜しげもなく大きな皿にたっぷりの食事を与える。それぞれの猫は互いを威嚇しつつ食べる。そして食べ終わるとビジターたちはいっせいに姿を消す。猫にとってはわが家は“解放区”であったろう。

 私がめったにしない勉強をしていると、当然というように私の膝の上に一匹が乗ってくる。またお茶目な奴は私の背中から駈け上がり、両肩の上を行ったり来たりする。あまつさえ頭の上に登ろうとする。また私が学校から帰ってくると玄関前に五~六匹が整列して出迎えてくれる。なかには急にペコと横たわり腹を撫でてくれと催促するのもいる。

 猫は青年期なると一度は家出をする。恋の相手と駆け落ちをするのだろうか。大半は恋に覚めて帰ってくるが、なかには永遠に帰ってこない猫もいる。そんな猫に思わぬのところででくわすことがある。「タマじゃないか」と私が話しかけると、しまったという顔をする。私の愛撫は邪険に躱す。「早く帰って来いよ」と言うと小言は御免というように姿を消す。

 私はついに猫好きを告白してしまった。きっと又どこかの街角で見知らぬ猫に、今度は堂々と擦り寄られることだろう。

   喉の奥声にならざる仔猫かな    園田靖彦

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