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連載第2回

島に生きる 季語と暮らす

寒鰤   
                     
                      
 結婚をして四十二年目を迎える。この間、私たちは暮れには必ず郷里、玄界灘の壱岐で獲れた寒鰤を一本贈ってもらってきた。十三年前に母を亡くしたが、その後は今年九十五歳になる叔父にずっと贈ってもらっている。

 壱岐人ならば、正月に鰤を食べないなんてありえない。この聖なる壱岐の鰤を年頭から食べて邪気を払い、一年を無事乗り切って欲しい。鰤を食べずに正月を過ごさせるなど、ご先祖様に申し訳がないという訳だ。

 私の小学生時代である昭和二十年後半、壱岐では農家でも小舟を所有していた。それには二つの重要な意味があった。

 一つは春になると、海底に藻が繁茂する。その藻を刈り取って、舟がもう少しで沈むくらいまで積んで帰港する。強烈な潮の香りにまみれて、ぐっしょり重い藻を、一家で陸揚げして、港の広場で干す。その干し上がった藻を畑に持って行き、土のなかに鋤き込む。まだ化学肥料のなかった時代の貴重な有機肥料だった。

 二つ目は、鰤釣りのためだ。壱岐の冠婚葬祭では、鰤がなくては始まらない。男たちは前日、舟で鰤釣りに行く。そして間違いなく一、二匹は釣りあげて帰ってくると、たちまちのうちに料理する。この鰤を釣り上げて料理するまでが男たちの役割だ。いまでも我が家では、壱岐の男として鰤の料理は私がする。

 料理といっても、ほとんどが刺身である。壱岐では徹頭徹尾鰤は刺身で食べる。妻は金沢生まれ、金沢育ちで、やはり鰤の本場の出身であるが、新婚のころ私が鰤を捌いているときに、照焼用に切って頂戴と言われた。そんな小洒落た食べ方がこの世にあるのかと思ったくらい、私には鰤即ち刺身というイメージがしみこんでいる。

 壱岐ではなにかというと鰤が出る。客に鰤の刺身をたらふく食べて貰うのが歓待の手始めだ。私が帰郷すると、もちろん鰤の刺身の大盛りである。親戚連は私がうまそうに食べるさまをじっと見ている。そして最初にどんな言葉が飛び出すかを固唾を呑んで待ちうけている。「やはり壱岐の鰤は一番うまかばい!」と私が言うと、みんな一気に相好を崩す。

 日本は、正月に鰤を食する地方と鮭を食べる地方に大別される。いわゆる鰤文化圏と鮭文化圏である。私も妻も幸い鰤文化圏のなかで育ってきた。今年も私たちは、壱岐の鰤を食べて息災に正月を迎えることが出来た。

寒鰤の躍り疲れを待つ包丁     園田靖彦


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