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談論風発、抱腹絶倒

 どうやら陽光春暖の候と言える時期となりました。
 
 昨夜(20日)まで、小生の携わっている雑誌『望星』の出張校正をしておりました。
 編集という仕事は、テーマを掲げ、執筆者をきめ、依頼する業務がまず第一段階です。第二は、実際にあがってきた文章や図版に対して、なんどか校正を繰り返して、自分のイメージに沿った内容に仕上げていく作業があります。最後は、印刷所に出張り、缶詰めになって、最終の校正をして精査して、下版(指示)をします。
 
 6月号の特集は「続・「心」のために歩く」です。以前企画して好評を得た第2弾でもあります。
 
 企画の趣旨は以下の通りです。
 
 人は、さまざまな理由で心に鬱屈が生じたとき、あるいは思いもかけぬ衝撃を受け、怒りや悲しみを抱え込んだとき、どのようにすればそれを乗り越え、先へ進むことができるのか。まして世の中全体に明日への展望がなく、人と人との距離も離れて、頼れるものにも頼れなくなってきているこの時代に……。
 私たちは、そうした問いへの答のひとつとして、「歩く」ということに注目してみた。多くの人が、たった一人で、いつでも、どこででも実践できて、精神の向上や自己救済、克服や癒しへの効用も期待できる方法としての「歩き」である。仏教で言う歩行禅や千日回峰、遍路、巡礼、あるいは文学者・哲学者の逍遥などを見るまでもなく、歩くことと心の営みとは、もともと密接な関係を持っていた。
 ところが、人が歩かない時代になって、その「心」との関係は忘れられ、いまは代わりに「健康ブーム」の一環として、「体のために歩く」ウォーキングだけが流行している。
 私たちは、その忘れられた「心」と「歩くこと」の関係を思い出し、多くの人が「心のために歩く」ようになることを提唱したいのである。
 歩くことが、こころの「平和」「癒し」「想いの深まり」「体内に眠っている太古の感覚を呼び覚ます」ことに通じれば更によいと拝察します。
 歩くことの効用は、体のためよりむしろ心のためにあるのであり、それが「鬱の時代」への処方と、時代に左右されない「自己」の向上にともに役立つことを願いながら。
 
 目玉の巻頭対談は、先に一部紹介しました、作家・僧侶の瀬戸内寂聴さんと俳人・黒田杏子さんの「惜しみなく前向きにたっぷりと」です。(3月17日、京都・嵯峨野の寂庵で収録)
 
 なにごとにも、思いったら(いっさいに後ろを見ず)前向きに一途に生きてこられた二人のお話は、談論風発、抱腹絶倒の連続、すごみのなかに、やさしさと純情さ、おかしさが混在しており、一読の価値ある読み物になったのではないかと密かに自負しております。
 
 そのほか作家・村松友視、作家・高田宏、エッセイスト・辰濃和男、作家・辺見じゅん、エッセイスト・湯本香津実氏らの豪華な執筆陣を並べることができました。それぞれ個性的な、読みごたえのある内容をいただきました。
 
 是非、店頭で手にとってみてください――と、今回は全面PRで、恐縮です。
 
 このところ毎月合計3回の句会、吟行句会に参加しております。明日、22日は佃島で吟行句会がありあます。
 
 23日は畑仕事の予定です。先週、人参、小松菜、紫蘇などの種を植えました。今回、畑に行くと、きっと芽を出していると思います。いま盛りのほうれん草を全部収穫し、その後を掘り起こし、そのあとに何を植えるか思案中です。


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