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引退の危機

 私たちの世代は、阿久悠の「瀬戸内野球少年団」ではないが、野球の洗礼を受けています。少年時代は、夏の高校野球をラジオやTVで固唾を飲んで楽しんでいました。

 今でも記憶にある選手が何人もありますが、最初に飛び込んできたのは、昭和30年夏、小倉高校の畑隆幸投手です。(彼はのち畑正憲の甥ということを知る。西鉄に入団。同期、稲尾の大活躍に比較して十二分には活躍せず。いま名古屋駅前で焼鳥屋をやっているとか)

 小倉高校は戦後直後の昭和22-23年夏、福島一雄投手が率いて二連覇を果たしており、強豪校として前評判は上々、九州の少年として必死に応援していました。(彼は負けて甲子園の土を持ち帰ったので「甲子園の土第一号」と言われている)

http://www.fanxfan.jp/bb/player/11.html

 2回戦では井崎勤也投手率いる和歌山・新宮高校と対戦しました。結果は、井崎の二塁打で残念ながら惜敗しました。(井崎はのち前岡と改姓、阪神に入団。開花せず)文字通り、ラジオで一挙一投足、耳を傾けました。

http://www.fanxfan.jp/bb/player/13.html

 今夏の駒沢苫小牧の二連覇達成に、感慨ひとしおです。
 
 閑話休題。
 小生、野球小僧、少年として過ごし、やがて中年になっても野球から足を洗うことがなく、40代前半まで監督兼選手で出場していました。所沢市大会、120チームのうち、ベスト3まで進んだこともあります。その後ソフトボールに移り、2年前までわが集合住宅のチームで9年間、監督兼選手をさせてもらいました。(年間20試合前後)

 今夏、草野球のメッカ、神宮球場前のグランドで、友人のチームの欠員に引き出されて、スローピッチ方式の試合に2試合出場しました。中堅手と左翼手を守り、どうにかつつがなく、こなしました。

 8月21日(日)、新小岩駅の近くの都立篠崎公園で同じく友人のチームに誘われました。久しぶりのナイターです。

 結論から先にいうと、右手親指を脱臼・骨折(全治3週間)しました。

 言い訳になりますが、老人は薄暗さに弱いのです。(世にいう鳥目)相手チームは若者が半分以上、学生時代に野球をやっていたとおぼしき人物が何人かいました。左翼手である小生は、彼らの打撃のときは思い切って、後方に守備しました。そのとき灯台もとくらしで照明塔の直下はやや暗いなあと思いました。その前にメガネに落ちた汗滴を一度拭いたのですが、やや曇っていて、なんだか見えにくいなあと思っていました。

 そのとき、守備位置にぴったりに、ライナーが飛んできました。一瞬、かだらが反応せず困ったなと直感しました。捕球したつもりが右手親指を直撃しました。すぐに落下したボールを返球しました。手にしたボールが丁度真ん中からスライスされたように感じました。すごいライナーだったので、なるほどなあと思いました。

 その後、わが右手親指を見ると、ややめりこんでいるように思いました。痛みはそれほどありません。自力で引きだそうと思いましたが病院に行くことにし、着替えて一人で管理人室に行くと、救急車を呼ぼうということになりました。大袈裟なので、やや躊躇しましたが、結果は正解でした。

 救急車は30分後にやっときましたが、整形外科医は日曜日の夕方というのでなかなか応じてくれず、やっと駅からかなり離れた京葉病院で診てもらいました。(自力で病院を探していたら、きっと途方にくれていたでしょう)

 X線で診てもらうと、先述の診断でした。
 やや腫れた親指の両面に部分麻酔をし(痛いこと!)親指を引き抜き、元に戻し、もう一度、X線撮影をしました。
 親指を覆っている筋肉のところに骨片が2-3個あり、ギブスを除去した3週間後、傷むようだったら、最悪の場合、手術の必要があるようです。

 1週間後の昨日29日、再検査をしました。どうやら順調に回復しているようです。
 
 スポーツは観るものではなくやるものだというのが、小生の基本的な考えです。(ラグビーだけ例外)小生は、野球・ソフトボールのほか、登山をやっているのですが、そろそろ野球・ソフトボールは現役引退を決意しなければならない時期にきているのではと思わせる怪我でした。
 
 もっともナイターはダメだが、昼間の試合だったら、まだやりたいという気持ちはあります。


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