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梅は咲いたか

 やや旧聞に属しますが、2月12日(土)、吟行句会で鎌倉の英勝寺と寿福寺を訪ねました。
 鎌倉駅から、線路際を北鎌倉方向へ戻ること徒歩10分、英勝寺を訪ねました。この寺は鎌倉で唯一の尼寺とか。受付は犬だけで、拝観料300円を払うまで吠え続けていました。庭には小梅が一面小さな蕾をつけていました。ただし1分咲きというところ。梅は咲いたが桜はまだかいなあ、には時期早尚のよう。ただし、今年初めて梅を見ましたので、とても小梅が新鮮に感じました。
 侘助は盛りをすぎて、線路側に2、3つ朽ちて残っていました。
 大きな鐘楼の前の蝋梅とまんさくは既に黄色い花を咲かせていました。朝早いということもあり、山を背にした境内には静かな時間が流れていました。
高浜虚子の「句日記」によると、晩年の1959年ごろ英勝寺で行なわれた句会に気軽に出ていたようです。
 
 http://www.kcn-net.org/bunjo/eishoji/temple.html
 
○侘助の花弁確かむ寺しずか
○寒梅や枝先ごとに春を待つ 
 
 次は、みんなと分かれて、寿福寺に行きました。この寺は、北条政子、源実朝の墓があることで一般的には有名ですが、俳句をかじる者とっては、高濱虚子、年尾、星野立子、森下愛子その他、一族、一門の墓がある、いわば“聖地”と言ってよいでしょう。
 美しい参道を抜けて、寺の裏へまわり、少しずつ坂を上がっていくと広い墓地が現れました。ただし墓地には案内板はなく、さてどこに目指す墓はあるのか、少しめぐりましたが、広くて途方にくれました。幸い、先にボランティアの案内人とおぼしき方が先客一行を導いておられましたので、どうやら終了したらしいので、小生も案内を頼みました。
 案内の方は、小生ごときの何倍も俳句に詳しく、縦横に虚子、年尾、立子、その他の句が飛び出します。おかげで小生が虚子の墓とばかり思っていたのが年尾の墓であったり、高濱家の家紋がわが家と同じ九曜紋であることなどがわかりました。やはり虚子は一族、一門を率いて眠っているように思えました。
 
 http://www.j-area2.com/area/kamakura/jyufukuji.html
 
○戸をおせば木魚の沸きし春の寺 
○訪ね来て虚子の墓に風光る
○梅が香の下に歌碑あり立子の墓
○梅が香やふるさとの庭ほの白く

 句会場に行く前に昼食を食べなければなりません。先月と同じ二ノ鳥居際にある「浅羽屋」に行きカツ丼を食べました。ここは鰻料理で有名らしいのですが、なにしろ、小生はこれから、句会に出て勝たねければなりません。カツ丼にしました。ここの丼は丼の表面にカツが詰まっており、汁もたっぷり、古式豊かに、おごそかな味がし、気に入りました。
 
 http://www.kcn-net.org/senior/tsushin/tgourmet/y04/0404hiro/index.html 


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